やさぐれ歯科医院

白い天使クリスチャン・ゼル博士を目指す歯科医の戯言

タービン滅菌狂騒曲

ちょいと前に歯科で用いる歯などを削る器具(タービンなど)を患者毎に滅菌するしないという話題がありました。

YOMIURI ONLINEより 歯削る機器 7割使い回し…院内感染懸念

調査は、特定の県の歯科医療機関3152施設に対して実施した。2014年1月までに891施設(28%)から回答を得た。滅菌した機器に交換しているか聞いたところ、「患者ごとに必ず交換」との回答は34%だった。一方、「交換していない」は17%、「時々交換」は14%、「感染症にかかっている患者の場合は交換」は35%で、計66%で適切に交換しておらず、指針を逸脱していた。別の県でも同じ調査を07~13年に4回行い、使い回しは平均71%だった。

 何が驚いたって、こんな記事が出てあたふたしてる先生達がネット上のあちこちにいるのに驚きました。い、今更ですか。

回答をもらえた施設の割合が891/3152施設(28%)とかなり低いですね。どう考えても返答しない残り2261施設の方が清潔不潔は大雑把なとこが多いんだろうなぁと邪推すると、7割どころか実際は9割くらいなんじゃないの?と、かなり疑っています。一度覆面捜査員として調べてみたいですね。ウヒヒヒ・・・。

 

あれは滅菌?これは消毒? 

歯科ではタービンに限らず、ちょっとした処置でさえ口腔内ミラーやピンセットなど様々な器具を使用します。そのため器具の滅菌・消毒問題は不可避の事項です。

では消毒でいい器具と滅菌しなければいけない器具の違いは何でしょうか?

歯科で使用する器具は、インプラントや歯周外科なんかの外科処置もひっくるめて

・使い回すものは滅菌!

・使い回す「物理的に滅菌できない」ものは消毒!

ですから「タービンといえども滅菌した方がよい」です。

消毒する器具も、正確には「消毒でいい器具」ではなく、「捨てられないし滅菌できないので仕方ないから消毒」なのです。

え、滅菌と消毒の違い?それくらいは自分で調べましょう。

上記の記事が出てから「医科では内視鏡を口の中に入れるけど滅菌してないじゃないか!何で歯科だけ叩かれるんだ!」という幼稚園児みたいな人をネット上でチラホラ見かけました。同業だと思われると恥ずかしいのであまり大声で喋らないで欲しいですが、そういう人に限って声がデカイという・・・。

 

ディスポ(使い捨て)製品は?

これも皆がよく誤解していますが、歯科領域では

・ディスポ(使い捨て)製品の使用前滅菌は不必要!

某国家公務員歯科に在籍していた時の職場会議で、紙トレーを導入しようかという話になりました。衛生士達が、器具滅菌が重労働なのでトレーだけでもディスポの紙トレーを導入したいというのです。

それ自体は至極結構なことで「どうぞ御自由に」だったのです・・・が、「紙トレーは滅菌されていないので、使用前に滅菌したい」と言い出しました。

待て待て待て、なんだその無駄な一手間は。血税で清潔ごっこか!

見かねて意見をしましたが、「滅菌したミラーやピンセットを未滅菌の紙トレーに載せるのはよくない」の一辺倒。

その非科学的なトンデモ清潔論はおかしいと説明しましたが、歳だけは人生の折り返し地点を過ぎた衛生士達、若造の言うことになど聞く耳持ちません。「そういうことは偉くなってから言いなさい」とまで言われ、ああ、このおばちゃん達とは議論しても無駄なのだと心の底からあきれ果てましたとさ。どっとはらい。

上記の話ですが、何がおかしいのか、間違っているのかよくわからないならば、清潔不潔とは何ぞや、という概念の勉強からやり直して下さい。

 

ヘンテコ清潔思考が蔓延しているワケ

しかしながら、清潔不潔の考えは大勢の歯科医療従事者が誤解しています。何故このような似非科学が信じられてしまっているのか・・・。

土台となる思考パターンとしては下記の2つがあります。

・「Love & Cleanness」清潔原理主義型思考

「清潔不潔は勉強するまでもない。きれいにすればするほど良い結果が舞い降りてくるに違いない!」この人達は清潔をどこまでも病的に突き詰めようとします。限界がありません。青天井です。

ジャイナ教という、戒律の一つに極端な「不殺生(アヒンサー)」を掲げる宗教があります。

Wikipediaより ジャイナ教

アヒンサーの厳守はもっとも重要である。ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。したがって、アヒンサーの誓戒のためにあらゆる機会に細心の注意を払う。宗派によっては空気中の小さな生物も殺さぬように白い小さな布きれで口をおおう(イエズス会の伝道師たちがジャイナ教徒に顕微鏡で普段飲んでいる水をみせたところ、それをみたジャイナ教徒は飲み水に微生物があふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだという報告書の存在がトマス・ブルフィンチの著書に記されている)。

「清潔!清潔!」と変なベクトルで頑張っている先生は、傍目にはこれと同じです。

・「考えない」盲信型思考

「これ、もしかして間違ってんじゃないの?」なんて事は全く考えません。神の御言葉は絶対です。疑うことは罪です。こじらせると何を言っても「あーあーあー、聞ーこーえーなーいー」とますます態度を硬くします。

荒野でサタンの誘惑をはねのけたキリストばりの勢いです。

神を否定する異教徒は敵!敵の言葉はサタンの言葉!

 

上記の2つは見ての通り宗教なんですが、ホントに宗教なら逆に構わないんですよ。「うちの宗派は生贄をささげれば義歯がピタリとはまります!」という主張でも「そうか、宗教なら仕方ないな」で済みます。

しかしこの2つが混じると狂信者のいっちょ上がり。この狂信者達が大学やら市中病院やら開業医の大家として、学生や研修医相手に日夜ありがたい教えの布教に励んでいます。

布教の賜物として、大勢の人達が単なる無駄な、本っっっ当に無駄な単なる「清潔ごっこ」をしているのですが、当の本人達は「ああ私はなんと善行を積んでいるんだろうか、これで極楽浄土間違いなし、ありがたや、ありがたや…よし、若者達にこのありがたい教えは引き継いでいかねば!」・・・ホラーですよこれ。

そんなわけで学生時代から卒業してもその誤った考えを延々と教えこまれ、本気でそれが必要と信じて臨床を続けます。その人達がさらに次の世代を同じように教えるという負の連鎖・・・。

 

 てなわけで

そのうちネット上や書籍などで見つけた「清潔不潔の誤解の実例」を上げていきます。よくある間違いから「え、本気でこんなこと信じてんの!?」という噴飯物まで様々です。

大家といえども例外ではありません。日本でインプラントの先駆けと言われているあの大先生ですら「え・・・えええええ!何これ!?トンデモ?」てこと書いてますから。

 

「信仰にはどんな証拠も役に立たない」

         ドストエフスキー

 

カルトからの脱会と回復のための手引き――〈必ず光が見えてくる〉本人・家族・相談者が対話を続けるために

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